すい臓がん余命宣告を超えた日。それでも変わらぬ日々
こんにちは。
先月、余命半年の予定日を超えました。
いつかはこの気持ちを整理してブログに書くことができるだろうと考えていました。しかし毎日変わる症状に今は気持ちの整理なんてできないんだろうなと思い始めています。
それで純日記としてすこしづつ書き溜めてみようと思います。
10月15日
ほんとはその日の出来事を書くのが日記なのでしょうが、その日に思い出した思い出を書いてもよいのではないでしょうか。
それで、順不同で思い出したことをその日の気持ちで素直に書いてみようという試みです。
今回は2023年の7月頃から膵がんの疑いありとして検査が始まった頃のことです。
みなさんはすい臓がん、がん、難治などの告知を受けたとしてなにを考えるでしょうか?
すい臓がんの告知をされた日
すでに疑いということでいくつかの検査を受けて、改めて別な日に診察に伺いました。
不思議な待合室
診察室の前で待っていると、大勢の患者が長椅子にコロナ過のために施された「ここは座らずに開けてください」という張り紙をよけて座っていました。
当然座れない患者さんは廊下や長椅子の間に立って待っています。
その空間はぎすぎすした感じというよりは体力的にしんどそうなひとは長椅子に、頑張れそうな感じの方が立っているというゆずり合いの雰囲気でした。
私もすい臓がんの疑いと言われているものの健康そのもですから呼び出しをしてくれる看護師さんがよく出てくる受付のドアがよく見る柱にもたれかかりながら立っていました。
受付付近にはベッドに乗ったままどこかの部屋に送られたり、どこからかきたりする患者さんが時折見受けられます。看護師に声を掛けられながら点滴のようなものや、得体のしれない機械がついているベッドに乗った患者を痛々しく感じていました。
「病室に先生が行くわけじゃないのか?」
私はただそう感じながらその風景を眺めています。
しばらくの後、わたしは診察室に呼ばれ主治医の前にあいさつをしながら座ります。
静かな診察室
診察では、体をすかして骨や内臓のぼやけた映像が映し出されたディスプレーとなんだか使いづらそうなWindowsのアプリケーションを表示するディスプレイーがいくつか並んでいます。
主治医は、そのディスプレイーを時折覗き込みながら普段と変わらず・・・というよりすこし弾んだ声ですい臓がんの可能性が高く、入院検査が必要だと伝えてきました。
そもそも、この主治医はレントゲン技師、CT技師が問題なしといった初見を付けた画像解析をみて、すい臓がんの疑いがあるとしてPET-CT検査を勧めてくれた方だ。その功績に酔っているようにも感じた。
主治医はその話を再度しながら高揚した声で言う。
「やはりすい臓がんでしょう。ステージにもよるが大きな手術が必要になりますが、まずは抗がん剤から始めることになると思います。」
といい、続けて
「入院してすい臓の一部をとり病理検査で悪性か良性かの判断が必要です。ただ、まず悪性で間違いはないでしょう」
と繰り返すようにすい臓がんであることを知らせてくれました。
私はただ他人事のように聞きながらなにか開放された気分でした。
今日の終わりに
この後に少しもめることになり、結局転院することになります。
早く治療をしたいという私と焦っても仕方ないという医療関係者の温度差は今もどう対処すべきだったか悩みます。
わたしはまだこの時はすい臓がんでも良性であることを心のどこかで信じていたような気がします。
同時にもう全て終わりにしていいんだという安堵感もありました。
この時期の気持ちは複雑で今でも説明がつきません。
まだ始まらない話の続きを次回もま話したいと思います。
いずれにしろ、今日ここでブログを書けることに感謝しようと思います。